其の壱 〜華々しく・・・・なかったデビュー〜

2009 年 5 月 23 日

(父)
「そもそも我等が歴史に登場するのは、織田信長公が近畿地方から中国地方へと軍を進めていた1570年代後半のこと。当時、我が故郷播磨国(兵庫県南西部)方面の織田軍を率いていたのが豊臣秀吉様。当時は羽柴秀吉と名乗っておられた。ワシは地元の土地勘と人脈を見込まれて秀吉様の軍勢に参加した訳じゃ。従って、仕事は専ら地元の豪族達を一人でも多く織田軍に引き抜く、つまりヘッドハンティングじゃな。」

(子)

「そして、何かが起こった訳ですな。」

(父)

「そうじゃ。摂津国(大阪府大阪市・堺市付近)の支配を信長公から任されていた大々名、荒木村重が信長公に背いたのじゃ。」

(子)

「すると、父上は普段のヘッドハンティングの交渉術を買われて、荒木村重の気持ちを変えるように説得を命じられた訳でございますな。」

(父)

「そうじゃ。もともと荒木村重が背いた原因は、織田信長公から疑われていると信じ込んだのが原因じゃった。疑われていると信じ込んだ故に、信長公への態度がよそよそしくなる。村重の態度がよそよそしいので、信長公は本当に村重を疑ってしまった・・・・。現代にもある悲しい気持ちのすれ違いじゃな。でも、ワシにはその経緯が良く分かっておったし、荒木村重とは共通の友人もいたので、ワシは自信をもって村重が立て篭もる有岡城に乗り込んだ。ところがじゃ・・・・。」

(子)

「事態は最悪の方向に向かった?」

(父)

「有岡城に入ってまず気付いたのは、荒木村重の覚悟と準備が並々ならぬものであるということじゃった。摂津国中の城に一族や腹心の武将を配置し・・・・、まあこれは当然のことじゃが、有岡城自体の食料や防備は織田軍に包囲されても一年は耐えられそうな準備をしておった。しかも、織田家に敵対する毛利輝元や別所長治と同盟を結んで織田軍来襲に備えていたのじゃ。ワシは結局、村重の堅い気持ちを変えることが出来ず、一年以上に間地下牢に捕えられてしもうた。」

(子)

「それで、父上は歩行が困難になった上に、地下牢の不衛生な環境で皮膚病にかかってしまわれたのですね。」

(父)

「ぐすん・・。そうじゃ。それ以後、ワシは馬ではなく輿に乗らねばならなくなり、醜い皮膚病の痕を隠す為に人前では頭巾を被らねばならなくなったのじゃよ。でも、命があっただけ良かったぞ。」

(子)

「しかし父上。父上がご不在の間、私自身の命も危うかったとか?」

(父)

「その通り。ワシが荒木村重に捕えられたとは夢にも思わぬ織田信長公は『黒田官兵衛はきっと裏切ったに違いない。ならば、長男の黒田長政を殺してしまえ!』と命じられたのじゃ。」

(子)

「ひえ〜。信長公は何と理不尽な!たとえ、明智光秀が本能寺を襲わなかったとしても、きっとその疑り深い性格故に誰か別のものから背かれて命を落とされたことでございましょう。」

(父)

「そうじゃな。でも、捨てる神あれば拾う神あり。ワシの先輩軍師、竹中半兵衛殿が誰にも内緒でお前を匿ってくれたのじゃよ。」

(子)

「思い出しましたぞ!私は竹中半兵衛様から『父上は必ず戻ってくる。それまでは辛抱せよ。』と慰められながら、父上の帰りを待ったものです。」

(父)

「あの頃の長政は素直で良い子であったのにのう・・・・。」

(子)

「(ギクッ)」

(父)

「まあ、それは良いとして、結局一年後には織田軍が有岡城を攻略し、ワシも長政も自由の身になった訳じゃ。」

(子)

「本当に華々しく・・・・ないデビューですな。結局、父上の自信過剰が、父上は元より私の命まで危険に晒してしまったのではございませぬか?父上は本当に若い頃から『知略に長けた軍師』と恐れられていたのですか?どうも間違いのような・・・・。きっとNHKの『戦国のナンバー2』も下から数えたナンバー2のような気が致しまするが・・・・。」

(父)

「だまれえっ!」

[続く]【其の弐 〜一番の功労者なのに〜】へ続く