寒中お見舞い申し上げます・・・令和ゆかりの坂本八幡宮へ

2020 年 1 月 31 日

(黒田官兵衛)

「令和2年も始まって1ヶ月じゃ。それにも関わらず、このブログの更新が1回も行われていないとはどういうことじゃ?」

 

(黒田長政)

「父上、それは仕方ございませんぞ。何せ、ブログの管理人が確定申告書類の発送に追われていたのでございますから・・・。」

(黒田官兵衛)

「まったく。それで、令和2年最初の今回はどうするのじゃ?」

(黒田長政)

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※新元号・令和※

「父上、本日は令和ゆかりの地とされる、太宰府市の坂本八幡宮に行ってはどうでしょう?」

(黒田官兵衛)

「おお、新元号『令和』が発表されて以来、大フィーバーの、あの坂本八幡宮か。ワシは一度も行ったことが無いんじゃよ。」

(黒田長政)

「それでは早速行くことにいたしましょう。」

(黒田官兵衛)

「賛成!」

(黒田長政)

「ということで、やって来たのはこの西鉄天神大牟田線の都府楼前駅。」

(黒田官兵衛)

「ここは、坂本八幡宮への最寄り駅じゃな?」

※「令和ゆかりの里」という副駅名が付けられた都府楼前駅

(黒田長政)

「そうなんです。この都府楼前駅は、新元号・令和に因んで、現在では『令和ゆかりの里』という副駅名が付けられている実におめでたい駅です。さあ、ここから大宰府政庁跡(都府楼跡)を目指しましょう。」

※大宰府政庁跡(都府楼跡)※

(黒田官兵衛)

「おお、もう大宰府政庁跡(都府楼跡)が見えてきたわい。ところで長政よ、大宰府政庁跡とは何か知っておるか?」

※大宰府政庁の回廊跡※

(黒田長政)

「はい。そもそも大宰府というのは地名ではございません。史跡としては大宰府という漢字を用い、行政区分では太宰府を用いるのは、その為です。大宰府とは、そもそも天皇を中心とした律令時代(特に奈良時代・平安時代)に、国が地方に設置した役所そのものの名称であり、宰府・都府楼とも呼ばれ、現在の福岡県以外にも西日本を中心に複数の宰府が設置されたといいます。しかし、他の宰府は次第に衰退・あるいは廃止され、専ら現在の大宰府のみが地方機関として残っていきました。各地に置かれた国府が県庁なら大宰府政庁は外交・貿易・軍事・治安・裁判・徴税の権限まで持つ巨大組織であり、遠の都とも呼ばれるほど栄えました。」

※都府楼跡の石碑※

(黒田官兵衛)

「その通りじゃ。廻廊の内側に残る建物の礎石からも、かなりの規模の建造物だったことが分かるであろう。」

※坂本八幡宮への参道※

(黒田長政)

「西国随一の都であった大宰府は、同時に争奪の対象でもあり、奈良時代には藤原式家の藤原広嗣が大宰府に左遷されたことを恨んで反乱を起こした他、平安時代の有名な海賊・藤原純友が太宰府を攻め落としたこともありました。やがて、武士の台頭を迎えると、博多の承天寺を開いた鎌倉幕府の有力御家人・武藤資能の一族が太宰少弐の官位を得て少弐氏を称し、九州北部の覇者として君臨し、以後、大宰府を本拠地としました。さあ、坂本八幡宮はこの大宰府政庁跡の更に奥ですぞ。」

※西鉄電車・旅人号※

(黒田官兵衛)

「うむ。奈良時代、この大宰府の長官として赴任したのが、万葉集の歌人としても名高い貴族・大伴旅人(おおとものたびと)じゃ。」

(黒田長政)

「令和という元号は、万葉集の収録された『梅花の歌』の一節『令き月、気淑く風和み(時は初春のよい月で、気候はよく風はなごやかに)』から令・和と付けられたと云います。」

※大伴旅人の歌碑※

(黒田官兵衛)

「そして、その『梅花の歌』が詠まれたのが、当時の大宰府の長官・大伴旅人の屋敷があったとされる坂本八幡宮の境内という訳じゃ。」

※坂本八幡宮※

(黒田長政)

「さすがは父上。」

(黒田官兵衛)

「さあさあ、お参りしよう。」

※新名物・令和饅頭※

(黒田長政)

「令和の新元号発表後や、改元直後、大晦日から三箇日にかけてはもっと物凄い人だかりだったそうですが、少し減ったとはいえ、こんなに沢山の方が参拝に見えているとは、さすがですな・・・。お、又兵衛と太兵衛に名物の令和饅頭を買って行こう・・・。」

※坂本八幡宮の賑わい※

(黒田官兵衛・黒田長政)

「寒中お見舞い申し上げます。皆様へのご挨拶が遅くなり、大変失礼いたしました。令和2年も宜しくお願い致します。」

[続く]