もうすぐクリスマス企画!鉄砲とキリスト教の伝来①火縄銃と種子島時堯

2019 年 12 月 18 日

(黒田長政)

「父上、一気に寒くなりましたね~!」

(黒田官兵衛)

「全くじゃ。それもこれも管理人が更新をサボっておったからじゃよ・・・・。」

(黒田長政)

「まあ、そうおっしゃらずに。パソコンが壊れて文章も写真も出せなかったそうですから(笑)。」

(黒田官兵衛)

「その結果、仕切り直しがクリスマス前とは。」

※JR博多シティのクリスマスイルミネーション※

(黒田長政)

「父上がクリスマスをご存知とは意外ですね!」

(黒田官兵衛)

「何を言っておるか!わしはこれでもクリスチャンだったのじゃぞ。我らの時代、クリスマスは降誕祭と呼んでおった。」

(黒田長政)

「でも、太閤様(豊臣秀吉)の命令で棄教しちゃったんですよね。」

(黒田官兵衛)

「うむ。高山右近(秀吉傘下の武将)の様にマニラに追放されてはかなわんからのう。ワシの場合、個人の信仰だけでなく、家臣の生活もかかっておる。辛いところじゃ。それに、ワシや小西行長、有馬晴信(島原半島の戦国大名)は禁教令後も密かに信仰を続けておったのじゃよ。」

※小西行長像※

(黒田長政)

「そういえば、小西行長は関ケ原の合戦で、有馬晴信は岡本大八事件でれぞれ死罪になりましたが、クリスチャン(カトリック)で自殺は禁じられていることを理由に切腹を拒否しておりますな。」

(黒田官兵衛)

「そういった中で、天寿を全うしたのはワシだけよ。いかにワシが賢いか皆分かろうというもの・・・・。」

(黒田長政)

「さあ、父上の自慢話はそれ位で・・・・。今日はクリスマスシーズンに因んで、我国へのキリスト教(カトリック)と、鉄砲(火縄銃)の伝来についてお話しましょう。」

※火縄銃※

(黒田官兵衛)

「なるほど。鉄砲とキリスト教の伝来はセットでご説明するのが定番じゃ(笑)。」

※火縄銃の国産化を命じた種子島時堯※

(黒田長政)

「では。1543年9月のある日、種子島に1艘の外国船が漂着しました。外国船は、中国・明の船で、中国人の他に、2人のポルトガル商人が乗り込んでいましたが、彼らは日本人がまだ見たことのない鉄砲(火縄銃)を持っていました。人々は、轟音を発して100メートル以上先の的を撃ち抜く火縄銃に驚愕し、好奇心旺盛な種子島の若き領主・種子島時堯は、火縄銃2丁を買い求め、刀鍛冶の八板金兵衛に複製を命じたと云います。」

※西表市に建つ八板金兵衛の像※

(黒田官兵衛)

「実は、種子島は古来より砂鉄の産地だったのじゃ。優秀な鍛冶職人もいて、火縄銃国産化の基盤が偶然揃っておったのじゃ。しかし、それ以上に、当時16歳という若き領主・種子島時堯の好奇心が歴史を大きく変えたとワシは思うぞ。」

(黒田長政)

「確かに。八板金兵衛は、預かった火縄銃を分解し、悪戦苦闘しながらも鉄砲の複製(国産化)に成功しました。あまり知られていませんが、この際に、鉄砲の砲身の底がネジで締められていることに金兵衛が気づき、これが我国へのネジの伝来と云われています。」

(黒田官兵衛)

「当時の種子島時堯は、薩摩の島津家と姻戚関係を結び、その傘下に入っておった。時堯は、複製した火縄銃を島津貴久に進呈し、島津軍は大隅半島の加治木城攻めに火縄銃を用いたとされ、これが我国初の鉄砲の実戦だとされておる。」

(黒田長政)

「種子島に伝わった火縄銃とその製造方法は、堺や近江の国友村、紀州の根来寺に伝わり、これらの地域は鉄砲の有力な生産地となりました。安土桃山時代、我国の火縄銃の保有数は少なくとも数万丁に上り、世界最大の鉄砲保有国でした。織田信長公が大量の鉄砲を用いて武田騎馬隊を長篠合戦で破ったのは有名ですが、それは鉄砲生産地の堺を信長公が押さえていたからこそ出来た芸当でした。」

 

※安土桃山時代、日本は世界最大の鉄砲保有国だった!(豊臣秀吉像)※

(黒田官兵衛)

「さあ、次回はいよいよキリスト教伝来じゃ。」

[続く]