もうすぐクリスマス企画!鉄砲とキリスト教の伝来②イエズス会とザビエル

2019 年 12 月 23 日

(黒田長政)

「父上、前回はキリスト教伝来のキの字も出てきませんでしたね(笑)。」

(黒田官兵衛)

「全くじゃ。それもこれも更新をサボっておった管理人が大口を叩くからじゃよ・・・・。」

(黒田長政)

「しかし、このように第二弾を繰り出すそうですから(笑)。」

(黒田官兵衛)

「では、今回はいよいよ我国へのキリスト教伝来と深い関係にある、フランシスコ・ザビエル神父の登場じゃ。」

※フランシスコ・ザビエル像※

(黒田長政)

「え~、フランシスコ・ザビエルは1506年、スペインの地方貴族の子として生まれました。フランスとスペインの争いに巻き込まれたザビエルの一家は居城を失い、ザビエルの父も間もなく亡くなりました。」

(黒田官兵衛)

「戦国時代の我が国と同じで、大国に挟まれた地方領主は辛いのう。」

※ザビエル記念聖堂(平戸市)※

(黒田長政)

「パリ大学に進学したザビエルは、やがて聖職者になることを志し、同志たちと共にカトリックの教えを世界に広めるイエズス会(耶蘇会)を創立しました。そして、35歳の時、ザビエルはポルトガル王の依頼でインドのゴアに向かいました。」

(黒田官兵衛)

「当時、大航海時代のスペインやポルトガルは世界中に植民地や交易拠点を抱えていた。中でも、インドのゴアは、アジアにおけるポルトガルの一大拠点だったのじゃ。」

(黒田長政)

「ゴアを拠点に、ザビエルら、イエズス会のメンバーはインド各地で布教活動を行い、同じくポルトガルの植民地であったマラッカで日本人に初めて出会いました。鹿児島出身の日本人青年ヤジローと出会ったザビエルは、日本への布教を志し、1549年、薩摩(鹿児島)に上陸しました。」

※ザビエル神父上陸を記念するザビエル公園(鹿児島市)※

(黒田官兵衛)

「当時の薩摩・大隅を支配していたのは戦国大名・島津貴久。先に鉄砲が伝来した種子島領主・種子島時堯とも姻戚関係にあった武将じゃ。キリスト教の布教を許可するかな?」

(黒田長政)

「新たな鉄砲の到着を期待した島津貴久は一応布教を許可したようです。」

※火縄銃※

(黒田官兵衛)

「なるほど(笑)。しかし、島津氏は鎌倉時代以来続く名門大名。幾つもの寺院を建立し、仏教に対する信仰も厚いはず。」

※宗教間の軋轢に悩んだ島津氏は布教を禁止し始めた※

(黒田長政)

「その通りでございます。鹿児島での布教活動が進むにつれ、仏教徒や寺院との軋轢が増え、これを問題視した島津貴久は布教活動を禁止し始めたと云います。これに気づいたザビエル一行は、平戸を経て京都に入り、天皇や室町幕府将軍に謁見し、布教の許可を求めようとしました。」

※将軍・足利義輝の時代、室町幕府は弱体化しており、将軍・義輝も間もなく暗殺された※

(黒田官兵衛)

「それは無謀というものじゃ。」

(黒田長政)

「おっしゃる通りでございます。天皇家も室町幕府も弱体化しており、京都の街も応仁の乱以降、荒廃していたと云います失意のザビエル一行は、周防国・山口に向かいます。」

※山口では華やかな大内文化が栄えていた(瑠璃光寺)※

(黒田官兵衛)

「大内義隆は、安芸・周防・長門・石見・筑前・豊前の六カ国を支配する大大名じゃ。大内氏の下、山口は繁栄を極めておった。」

(黒田長政)

「ザビエルは大内義隆に望遠鏡や眼鏡、置時計などを献上し、布教の許可を求めます。献上品に喜んだ大内義隆は、早速布教を許可。山口では初めて順調に布教が進み、我国初のキリスト教の常設教会まで出来ました。更に、ザビエルは豊後国にポルトガル船が入港したことを知ると、府内(大分市)に向かいます。」

※大友宗麟胸像※

(黒田官兵衛)

「府内は、九州の豊後・筑後・肥前・肥後を支配する大友宗麟の本拠地じゃな。」

(黒田長政)

「大友宗麟もまた、キリスト教や西洋の南蛮文化に強い興味を示し、布教を許可。後には自らもキリシタンに改宗し、熱心な信者となりました。以後、大分や臼杵は、九州の布教の拠点となっていきます。」

※臼杵城跡の南蛮崩し(大砲)※

(黒田官兵衛)

「大友宗麟は、キリスト教布教の保護を与え、南蛮貿易を推進した。これによって大友氏は大いに潤い、大砲まで入手したという。」

(黒田長政)

「因みに、大友宗麟はキリスト教入信の際に、フランシスコ・ザビエルから洗礼を受けたことから、洗礼名をフランシスコと名乗りました。とはいえ、全般的に観ると、日本での布教活動はザビエルが思った程、順調に進んだわけではありませんでした。来日から2年余りが過ぎ、ザビエルは一旦ゴアへ戻り、今度は中国・明に渡ろうとしましが、その途中で亡くなりました。」

※キリシタン大名の一人、小西行長像(宇城市)※

(黒田官兵衛)

「しかし、ザビエル神父が日本にもたらしたキリスト教は、その後の戦国史に大きな影響を与えることになった。九州では大友宗麟に続いて、長崎の大村純忠や、島原の有馬晴信がカトリックに入信。更には、仏教勢力と対立する織田信長公もキリスト教を保護。ワシをはじめ高山右近・小西行長、蒲生氏郷、明石全登らが入信し、キリシタン大名と呼ばれると共に、南蛮寺・神学校(セミナリヨ)・教会領が設けられ、日本におけるキリスト教(カトリック・イエズス会)は大きく発展し、ザビエルの撒いた種は大きく育った。」

※「聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地」の碑※

(黒田長政)

「ザビエル神父は日本人を非常に高く評価し、『この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられない。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意が無い。驚くほど名誉を重んじる人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。』と記しています。」

[続く]