首里城復興を願って!世界遺産・琉球王国のグスク及び関連遺産群:名将・護佐丸が築いた座喜味城跡

2020 年 5 月 19 日

 

(黒田長政)

「父上、最近は『コロナ、コロナ』の毎日ですね。」

(黒田官兵衛)

「全くじゃよ。仕事や生活上の用事以外は、ちっとも外出できず、気晴らしも出来ず。」

(黒田長政)

「仕方ありませんよ。ステイ、ホーム!我々一人一人が物言わぬ加害者にならない為ですから・・・。」

(黒田官兵衛)

「しかも、ワシが長政に頼んでおいた福岡城天守閣はいつまで経っても完成せぬし・・・・。家にいても何も・・・・。」

(黒田長政)

「まあまあ、そこは父上!(汗)そんなことよりも我等は初志貫徹!首里城復興を願って『世界遺産・琉球王国のグスク及び関連遺産群』を引き続きご紹介しましょう!」

※世界遺産・座喜味城跡※

(黒田官兵衛)

「おお、そうであった。ところで、今回の座喜味城跡とは?」

(黒田長政)

「座喜味城(ざきみじょう)跡は、沖縄県読谷村にある琉球王国時代の城跡(グスク)です。1416年から1422年に読谷山の按司護佐丸(ごさまる)が築城したとされています。」

(黒田官兵衛)

「按司(あじ)というのは、沖縄の地方豪族じゃな?それにしても見事な城壁じゃ。」

※美しく整備された座喜味城の城壁※

(黒田長政)

「はい。1945年の沖縄戦では、座喜味城跡に日本軍の砲台が置かれ、戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊されましたが、後に城壁の復元が行われています。2000年11月には首里城跡などとともに、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されました。」

※ユネスコ世界文化遺産※

(黒田官兵衛)

「ところで、長政よ。この座喜味城を築いた護佐丸とはどのような人物じゃ?」

※北山王国の拠点・今帰仁城跡※

(黒田長政)

「護佐丸は、琉球王国の第一尚氏王朝時代(1406~1469年)に活躍した名将であり、琉球王国の重臣です。この時代、沖縄は北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)の三王国に分かれて争っていました。護佐丸は、北山王に滅ぼされた今帰仁城(世界遺産)・城主の末裔で、中山王の尚巴志に仕えて頭角を現しました。」

(黒田官兵衛)

「なかなかの苦労人じゃな。」

※中山王・尚巴志の北山王国征伐は、護佐丸にとっても復仇の機会だった※

(黒田長政)

「中山王・尚巴志(しょうはし)が1416年に北山王国征伐に出陣すると、護佐丸は有力な按司の1人として、尚巴志率いる連合軍に合流しました。20歳代にして第2軍800人の総大将に抜擢された護佐丸は、海路を通った尚巴志の本軍と分かれて陸路、今帰仁城に向かったと云います。」

(黒田官兵衛)

「ワシと同じで、若い頃からエリートだったのじゃな。」

(黒田長政)

「・・・・。尚巴志王の本軍と、北山王・攀安知(はんあち)が城外で交戦し、城内の内応者が寝返ると、護佐丸はこれに呼応して今帰仁城に突入し、北山王国を滅亡させて祖先の仇を報じました。」

(黒田官兵衛)

「ワシに劣らず、なかなかの策士じゃのう。」

※優雅な曲線を描く座喜味城の城壁※

(黒田長政)

「北山王国滅亡後、中山王・尚巴志は、今帰仁城主の血筋を引く護佐丸を、北山守護職の要職に任じると共に、良港を備えた座喜味城の築城を命ました。座喜味城は赤土の軟弱な台地に建てられましたが、護佐丸は旧居城の山田城を崩して石材を運び、石積みの工夫によって強度と曲線美を備えた城壁を築いて、名将・築城家としての評価を更に高めました。護佐丸は琉球王朝・第一尚氏の歴代国王六人に仕え、第一尚氏王統の安定を政治経済の両面で支えたと云います。」

※座喜味城跡に続く松並木※

(黒田官兵衛)

「うーむ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、3人の天下人に仕えたワシを彷彿させる経歴じゃな・・・・。しかし、歴代国王六人に仕え、築城家としても名をはせたのであれば、他のグスクも遺っていそうじゃのう。」

(黒田長政)

「では、次回はその後の護佐丸と、護佐丸が築いたもう一つの名城です!」

 

[続く]