首里城復興を願って!世界遺産・琉球王国のグスク及び関連遺産群:武勇の北山王・攀安知の居城、世界遺産・今帰仁城跡

2020 年 6 月 22 日

(黒田長政)

「『世界遺産・琉球王国のグスク及び関連資産群』のグスク跡を巡る今回の旅。今回で5回目、いよいよ最終回です。」

(黒田官兵衛)

「おお、そうであったか!では、最終回はどのグスクに行くのじゃ?」

※今帰仁城跡※

(黒田長政)

「最終回は、今帰仁村にある今帰仁城跡でございます。今帰仁城跡は沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。世界遺産にも登録されていますが、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離にあります。世界遺産に登録されたグスク群の中で、那覇から最も遠い場所にありますが、観光地としてよく整備されており、土産物店も含めた交流センターや歴史文化センターもございます。」

※歴史文化センターと交流センター※

(黒田官兵衛)

「ほう、それは楽しみじゃ。」

(黒田長政)

「父上、ご覧ください!これが今帰仁城跡でございますぞ!」

※美しい曲線を描く外廓の石垣※

(黒田官兵衛)

「おお、外廓の石垣が何百メートルも曲線を描いておるわ。」

(黒田長政)

「今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地(沖縄北部)を守る要の城でした。」

(黒田官兵衛)

「何じゃ、この立派な石造りの門は?」

※平郎門※

(黒田長政)

「こちらは平郎門でございます。さあ、主郭の方へ向かいましょう。」

※石畳が美しい現在の登城道※

(黒田官兵衛)

「石畳の登城道が見事なものじゃのう。」

※旧登城道※

(黒田長政)

「もっとも、築城当時はこのような平坦な登城道であったはずはなく、向かって右側に遺された凸凹道の旧道が登城道でした。」

(黒田官兵衛)

「この開けた場所は何じゃ?」

※大隅(うーしみ)と呼ばれる馬場・練兵場の跡※

(黒田長政)

「ここは、大隅(うーしみ)と呼ばれる馬場・練兵場の跡だそうですよ。」

(黒田官兵衛)

「とにかく広い敷地じゃな。見学コース以外の領域も含めたら、長政の福岡城よりも広そうじゃ。」

(黒田長政)

「確かに。」

(黒田官兵衛)

「おお、ここは何か建物の跡のようじゃ。」

※女官の住まい跡※

(黒田長政)

「こちらは、御内原(うーちばる)と呼ばれる女官の住まい跡だそうですよ。」

(黒田官兵衛)

「なるほど。」

※北山王の正殿が置かれた主郭跡※

(黒田長政)

「ここが主郭になります。城主である北山王の正殿が置かれていました。」

(黒田官兵衛)

「おお、ここで北山王国の王が政務を行っていたのじゃな。ところで、見学順路では、主郭の更に奥にも廓があるようじゃが・・・・。」

志慶真門郭と絶景※

(黒田長政)

「主郭の奥にある廓は、志慶真門郭(しげまじょうかく)です。北山王の側近や近親者が生活していたと考えられています。我ら見学者にとっては絶景ポイントですね。」

(黒田官兵衛)

「ところで、長政よ。そろそろ北山王国の歴史と、北山王について教えてくれ。」

(黒田長政)

「はい。14世紀の中国・明時代の歴史書には北山王国の『怕尼芝』『珉』『攀安知(はんあち)』の三人の王の名が登場します。この頃の沖縄本島は北部地域を北山王国、中部地域を中山王国、南部地域を南山王国がそれぞれ支配した『三山鼎立の時代』、三大勢力が争ったグスク時代でした。」

(黒田官兵衛)

「そうであったか。」

※武勇絶倫の北山王・攀安知は、今帰仁城を拠点に沖縄県北部を支配した(一番下は今帰仁城全体の模型)※

(黒田長政)

「最後の北山王・攀安知は武勇絶倫の豪傑であり、今帰仁城を拠点に沖縄島の北部(他に与論島や沖永良部島)を中心に支配下とし、中国・明と貿易を推進していました。」

(黒田官兵衛)

「これだけ大きなグスクを築造、維持するには莫大な費用が発生したはずじゃが、武勇だけでなく、貿易を推進することで収益を上げていたのじゃな。さすがじゃ。」

※今帰仁城跡の見事な石垣※

(黒田長政)

「しかし、佐敷按司の立場から中山王国を乗っ取った尚思紹・尚巴志父子の台頭著しく、焦った攀安知は側近の本部平原(もとぶひらばる)の進言に従って中山攻撃を考えますが、1416年、それを察知した中山王・尚思紹・尚巴志父子の北山攻撃を招いてしまいます。」

(黒田官兵衛)

「渾身一擲の反撃作戦がかえって、敵の逆襲を招いてしまったわけか。確かに戦国の世にはよくあることじゃ・・・・。」

※先に行動を起こしたのは尚思紹・尚巴志父子だった※

(黒田長政)

「尚思紹・尚巴志父子には中山王国の豪族(按司という)だけでなく、かつて北山王国を追われた後の名将・護佐丸をはじめ、北山王国の傘下にあった豪族たちも味方し、攀安知は居城の今帰仁城に追い詰められました。」

(黒田官兵衛)

「まさに四面楚歌じゃな。」

※北山王の側近本部平原は、後の座喜味城主・護佐丸に通じて裏切った※

(黒田長政)

「北山王・攀安知は、尚思紹・尚巴志父子に決戦を挑もうと城外に出て戦いますが、その間に、側近であったはずの本部平原が護佐丸に内通して裏切り、今帰仁城は落城!」

(黒田官兵衛)

「なんと!」

※歴史文化センターに展示される宝剣・千代金丸(複製)※

(黒田長政)

「敗北を悟った北山王・攀安知は今帰仁城に戻って裏切り者の本部平原を討ち果たし、北山王累代の宝剣・千代金丸で王国の守護神であったテンチジアマチジに斬りつけ、自害しようとしましたが、果たせず、千代金丸を川に投げ捨て、他の剣で命を絶ったと云います。北山王国の最期でした。豪勇を謳われた北山王・攀安知を倒した尚思紹・尚巴志父子は勢いづき、14年後には南山王国も滅ぼし、ここに琉球の統一が成り、琉球王朝・第一尚氏の時代が幕を開けました。」

(黒田官兵衛)

「戦国の世では、敗者の末路は常に非情なものであるが、やはりやりきれぬのう・・・・。その後の今帰仁城は?」

※1609年、薩摩の島津軍は大挙して琉球に攻め込んだ!※

(黒田長政)

「北山王国の滅亡後、中山王・尚巴志は北部地域の管理のために監守(城代)を今帰仁城に設置のし、1422年以後監守の居城としてグスクを利用します。しかし、1609年の島津軍による琉球侵攻では第一攻撃目標となり、城は炎上したとされています。監守が住まなくなって以後は拝所となり、現在に至るまで精神的拠り所となっているそうです。」

首里城跡・座喜味城跡・中城城跡・勝連城跡・今帰仁城跡※

(黒田官兵衛)

「今年は、首里城跡を皮切りに、全部で5カ所のグスク跡を巡ったが、どのグスクにも世界遺産に登録されるだけの遺跡としての存在感は勿論、悠久の歴史を感じさせる物語があったのう。そして、昨年全焼してしまった、首里城正殿をはじめとする建物、是非とももう一度復興して欲しいものじゃ。」

※美ら海水族館と、名物のジンベエザメ※

(黒田長政)

「本当にそのとおりでございますな。さて、今回ご紹介した今帰仁城跡。那覇からクルマで1時間30分程、とお伝えしましたが、近くには沖縄海洋博公園・美ら海水族館といった観光スポットもございます。是非、今帰仁城跡とセットで見学されては!?それでは、シーユーネクストアゲイン!」

※首里城正殿の復興を願って!※

(黒田官兵衛)

「令和になっても、まだやるのか、そのあいさつ!?」

(黒田長政)

「・・・・。」

[続く]