古城をゆく・・三密を避けて城跡巡り! 名将・小早川隆景が築いた桃山時代の海軍基地・名島城

2020 年 9 月 16 日

(黒田長政)

「父上、今日は名島城にやってきましたぞ。」

(黒田官兵衛)

「まったく、ここ暫くコロナだ、三密だ、洪水だと、不穏な世の中じゃ。」

(黒田長政)

「しかし、新型コロナウィルス対策は万国共通の大問題。我らもソーシャルディスタンスを心がけて見聞を続けましょうぞ。さて、名島城といえば、元々は大友家の立花山城の支城として築かれた出城。それを、大改修し、筑前国(福岡件)の政庁としたのが、父上とも親しかった小早川隆景殿。」

※毛利元就・小早川隆景(写真)父子は厳島の戦いで名を上げた※

(黒田官兵衛)

「うむ。小早川隆景殿は、実父・毛利元就と共に戦国時代の智将として知られる。まあ、ワシほどではないがな。」

(黒田長政)

「・・・・。」

※名島神社※

(黒田官兵衛)

「幼くして小早川家に養子入りした隆景殿は、毛利本家を援けて各地を転戦し、大友氏や尼子氏と激しい戦いを繰り広げたが、天下統一を進める織田信長公、そしてその後継者である太閤様(豊臣秀吉)との戦いで勝機はないと悟り、毛利氏を豊臣政権の大大名として参画させたのじゃ。」

※小早川隆景を厚く信頼した天下人・豊臣秀吉※

(黒田長政)

「豊臣家への臣従後、小早川隆景殿は一連の四国征伐・九州征伐で大きな功績をあげ、筑前国(福岡市を中心とする福岡県西部)を与えられました。その隆景殿が筑前の政庁として整備したのが名島城です。」

(黒田官兵衛)

「かつて、博多を勢力圏に置いた豊後国(大分県)の戦国大名・大友宗麟は、福岡市東区・新宮町に広がる立花山城を拠点に筑前支配を進めた。その、立花山城の出城として元々築かれたのが名島城じゃ。」

※小早川隆景が寄進(再建)した筥崎宮楼門※

(黒田長政)

「小早川家といえば、毛利軍団の水軍衆を担う家柄。やはり、軍港・海軍基地としての整備を進めたのでしょうな。」

※朝鮮半島出兵の策源地となった肥前・名護屋城(佐賀県唐津市)※

(黒田官兵衛)

「うむ。しかも、玄界灘は古来より朝鮮半島への窓口でもある。もしかすると、太閤様は既に朝鮮出兵を企図しておられたのかもしれぬ。」

(黒田長政)

「実際に、朝鮮出兵にも小早川軍は動員され、有名な碧蹄館の戦いにも我らと共に参加しておりまする。」

**

(黒田官兵衛)

「では、早速名島城跡を散策するとしよう。」

(黒田長政)

「現在の名島神社が名島城跡だとされています。近世初頭の福岡の政庁がこの名島にあったことは間違いないのですが、石垣などは、福岡城築城の際に資材として運び出された為、名島城の遺構はほとんど残っていないとされ、幻の城でした。」

(黒田官兵衛)

「そうか・・・って福岡城を築いたのはそなたではないか!?何故そんな大事なことを覚えておらぬのじゃ!」

※名島門※

※崇福寺唐門※

(黒田長政)

「といっても、何百年も前のことですし(笑)、名島城は確かに私の指示で廃城になりましたが、細かいことまでは・・・・。一応、名島城の遺構とされているのが、福岡市中央区の舞鶴中学校敷地(福岡城公園に隣接)に保存される名島門(伝、名島城城門)です。また、我ら父子の墓がある崇福寺の唐門も、現在まで残る名島城の数少ない遺構とされていますが、それ以外は全く謎めいた城跡でございます。」

(黒田官兵衛)

「幻の城か・・・・それは残念じゃのう。」

(黒田長政)

「しかし、ご安心くだされ。2012年、名島城跡の発掘調査が終わり、名島神社に隣接した高台に名島城址公園が開園し、様子が一変致しました。」

※名島城本丸跡※

(黒田官兵衛)

「名島神社が、名島城の本丸跡だとずっと思いこんでいたが、実際にはその一つ上の曲輪が本丸だったのか。」

(黒田長政)

「小早川隆景殿が整備した城としては、他に三原城(広島県三原市)が知られていますが、水軍衆(小早川水軍)を用いた水陸両用作戦を得意とした小早川家らしく、城郭と軍港としての機能を併せ持っているのが特長でした。」

※名島城跡から博多湾を望む※

(黒田官兵衛)

「なるほど。現在では全体を住宅地、高層マンションに取り囲まれている名島城跡じゃが、往時には北部九州の沿岸に睨みを利かせたことであろう・・・・。」

※隅櫓跡※

(黒田長政)

「これは、造成の際に新たに発見された遺構の一つ、隅櫓跡でございます。」

※発掘された石垣跡※

(黒田官兵衛)

「これらの大きな石は、やはり櫓の石垣かのう?」

(黒田長政)

「こちらは、かつての登城道と思しきルートから発見された石垣跡です。父上、グーグルマップで『名島城南丸』という表記を見つけましたぞ。」

※天台宗・宗栄寺※

(黒田官兵衛)

「便利な世の中になったものじゃ・・・・。なになに、天台宗の寺院、宗栄寺?寺院ではあるが、神仏習合時代の名残か、鳥居があるのう。名島城南丸跡は、どうやらこの宗栄寺で間違いなさそうじゃ。」

※名島神社境内※

(黒田長政)

「南丸同様に、『名島城弁天櫓』というのも表記されているようですが、こちらは名島神社の境内にあったものと思われます。父上、少し城外まで歩きましょう・・・・。」

**

(黒田官兵衛)

「少し離れた城浜団地までやって来たぞ・・・・。」

※名島城追手口跡付近※

(黒田長政)

「ご覧ください。『名島城追手口跡』。ここには大手門があったと思われます。」

(黒田官兵衛)

「ゼイ、ゼイ・・・。今日は随分歩かせるのう・・・・。」

※団地内にある名島城三の丸跡※

(黒田長政)

「名島神社から、福岡都市高速道路を挟んで反対側の、名島総合運動公園に隣接した高台にある、名島城二の丸及び三の丸跡。こちらは三の丸跡の石碑です。」

※名島城公園全景※

(黒田官兵衛)

「小早川隆景殿を厚く信頼した太閤(豊臣秀吉)様は、毛利本家の毛利輝元(隆景の甥)と共に隆景を豊臣政権の五大老に取り立てたが、間もなく高齢を理由に養子の小早川秀秋(秀吉の甥)に名島城を譲り、隆景殿は三原城(広島県三原市)へ引退した。」

(黒田長政)

小早川隆景殿、次いで太閤様も間もなく亡くなると、関ヶ原の戦いが勃発。小早川秀秋は合戦当日に悪名高い寝返り(西軍を裏切った)を行い、岡山へ転封(一応領地は加増された)となり、代わって、この黒田長政が中津より名島城へ入城しました。」

(黒田官兵衛)

「長政よ、何故、名島城から福岡城へ移ったのじゃ?」

※福岡城跡(舞鶴公園)※

(黒田長政)

「はっ。名島城は実戦的ですが、太平の世に城下町を開発する余地がないことから、商都・博多に隣接する福崎の地に新城(福岡城)を築くことに致しました。ここに福岡黒田藩五十二万石が成立しました!」

(黒田官兵衛)

「因みに、福崎の地名を、我が黒田家発祥の地、備前国福岡(岡山県)に因んで福岡と改めたのも我ら父子なのじゃ!」

※崇福寺にある黒田官兵衛墓所・黒田長政墓所※

(黒田官兵衛・黒田長政)

「つまり、我ら黒田父子こそ福岡の生みの親!(お互い、それが言いたかったんか~い!)」

 

[続く]