キャスト

2009 年 5 月 22 日

(CAST)

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黒田官兵衛・・・・1546〜1604年。安土桃山時代の武将。
「官兵衛」は通称で、正式には「黒田孝高」。隠居後の「黒田如水」の名前でも有名。若い頃より織田軍に参加し、豊臣秀吉に従う。特に、本能寺の変〜小田原征伐までの期間における秀吉の参謀役としての活躍は有名で、秀吉の天下統一を決定的なものとした。馬に跨り剣を振う武将達とは違い、参謀役として外交や謀略に徹していた故、智将としてのイメージが強い。但し、非常に目立ちたがり屋で冷徹な野心家であったとの風説もある。

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黒田長政・・・・・・1568〜1623年。安土桃山時代〜江戸時代初期の大名。黒田官兵衛の長男。
父と共に若い頃から豊臣秀吉に仕える。但し、あくまでも参謀役に徹した父とは違い、自ら馬に跨り剣を振う武闘派の前線指揮官であった。父である黒田官兵衛に比べると智謀では父に劣っているイメージがあるが、関ヶ原の戦いでの西軍切り崩しは長政自身の功績であり、なかなか智謀に長けた人物でもあったと言える。また、福岡にとっては街の名付け親として、初代福岡藩主としても縁深い。

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島井宗室・・・・1539~1615年。戦国~安土桃山時代の博多商人でも特に有名な『博多三商傑』の一人。茶人としても知られ、茶の湯を大成した千宗易(利休)とは茶人としても、同業者(貿易商)としても親交が深かった。豊後国(大分県)の戦国大名・大友義鎮(宗麟)と親しく交わり、義鎮の勢力拡大に伴って様々な営業特権を与えられた。九州を巡る三つ巴の決戦で義鎮が島津義久に敗れたことから脅威を感じ、織田信長、次いで豊臣秀吉と通じる。後に秀吉の天下統一・朝鮮出兵に協力し、文字通り『天下人の御用商人』となり、黒田長政の福岡城築城にも協力した。

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神屋宗湛・・・・1551~1635年。安土桃山時代~江戸時代初期の博多商人。島井宗室と同じく『博多三商傑』の一人。世界遺産となった石見銀山の経営者で、中世博多商人の極盛期を開いた人物であり、島井宗室とは遠戚にあたるとも言われる。島井宗室と同じく茶人としても知られる。千宗易の先輩格にあたる堺の豪商・茶人である津田宗及と親交を結ぶ。博多商人の指導者的立場にあって、博多の復興・朝鮮遠征軍への補給等を取り仕切り、豊臣秀吉を支える側近の一人となる。因みに、ここでは宗湛は宗室を『叔父さん』と呼んでいる。

小早川隆景・・・・1533~1597年。戦国時代~安土桃山時代の武将。「三矢の教訓」で有名な中国地方の戦国大名・毛利元就の三男。毛利氏と同じく安芸国(広島県)の豪族であった小早川氏の養子となった。小早川水軍を率いて父・元就を援け、毛利家を中国地方最大の大名にすることに成功した。父の死後は実兄・吉川元春と共に甥である毛利輝元を支え、両川体制とも呼ばれた。豊臣秀吉の器量を早くから見抜き、本能寺の変後は豊臣家に従うことを主張した。その後は豊臣軍の一員として九州・小田原・朝鮮半島の戦場で活躍し、九州平定後は筑前国を領地として与えられ、名島城に入城する。晩年には豊臣家を支える五大老の一人となり、秀吉の甥・小早川秀秋を養子として迎えた。黒田氏が筑前国に入るのはその後である。以下、(隆)と表記。