九州新幹線全通5周年・山陽新幹線博多開業41周年!九州に鉄道の幕開く!第2回九州鉄道から国鉄の時代へ!そして、世界初の海底トンネル誕生

2016 年 3 月 11 日

(神屋宗湛)

「九州鉄道とは別に、筑豊の石炭を運ぶ為の鉄道も開業したんですよね?」

(島井宗室)

「その通り。少し時間を巻き戻して明治24年(1891年)8月、それまで遠賀川の川船によって運ばれていた石炭を運ぶ為の筑豊興業鉄道が若松~直方間で開通し、翌年には小竹を経て飯塚、更に直方~金田間も開通し、明治30年(1897年)10月には九州鉄道と合併したのじゃ。」

(神屋宗湛)

「初期の九州の鉄道は他にも色々な会社が路線を敷いていたと聞きますけど?」

(島井宗室)

「ふむ。明治30年から35年にかけて九州鉄道は、行橋~伊田~後藤寺~糸田等を結んでいた豊州鉄道や、唐津炭田の石炭を輸送していた唐津鉄道、有田~伊万里間を結んでいた伊万里鉄道を次々に吸収合併。総営業キロ数は600キロを超えたという。」

(神屋宗湛)

「因みに、現在のJR九州の総営業キロ数(在来線のみ)が約1900キロですから、実に3分の1を有していたわけですね。」

(島井宗室)

「ここで面白いのが、我が国最初の鉄道開業である新橋~横浜間の際にはイギリス人技師によるイギリス製の機関車が走り、北海道に初めて鉄道が開業した際には広大なアメリカ大陸に共通点を見出してアメリカ製機関車が走った。九州鉄道の場合はドイツ人技師を招いた為、ドイツ製の機関車を走らせていたという点じゃ。」

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宇佐八幡宮境内に展示されるドイツ・クラウス社製蒸気機関車(九州鉄道26号)

(神屋宗湛)

「同じ日本国内だし、同じ機関車をたくさん揃えた方がメンテも楽そうなのに面白いですね。きっと1両ずつの単価が非常に高額だったでしょうから、都度取引時の条件が有利な相手から買っていたのでしょうね。ところで、南の鹿児島や熊本の鉄道はどうだったんですか?」

(島井宗室)

「九州鉄道が民間資本であるのに対し、明治27年(1894年)の国会で政府による鹿児島~八代間の鉄道建設が決まり、明治34年(1891年)に鹿児島~国分間が、明治36年までに国分~吉松間が開通したのじゃ。しかし、ここからが問題じゃ。吉松~人吉間には矢岳をはじめとする山々が立ちはだかり、トンネル・スイッチバック・ループ橋といった手段を講じてようやく明治42年(1909年)に現在の肥薩線経由で鹿児島本線・門司~鹿児島間が全通したのじゃ。」

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旧鹿児島本線最大の難所だった肥薩線の矢岳駅

(神屋宗湛)

「矢岳を抜ける矢岳第一トンネルは全長2キロを超え、着工から開通に2年を要したそうですから、これだけでも大変な工事だったようですね。」

(島井宗室)

「この間、九州の鉄道図を大きく塗り替える出来事が起こった。」

(神屋宗湛)

「え~っ!?」

(島井宗室)

「まだ何も言うとらん(怒)。明治39年(1906年)3月に鉄道国有法が公布され、九州鉄道は山陽鉄道などと共に国に買収されたのじゃ。」

(神屋宗湛)

「そりゃまたどうして?」

(島井宗室)

「元来、明治政府の中には最新技術の集積である製鉄や鉱山、造船、鉄道等を国家の手で生み出し、管理したいという強い主張があった。例えば造船技術は島国である我が国にとってはそのまま国防に直結する。製鉄についても、造船や鉄道、兵器産業とも密接に関連があり、それらの分野を政府の手で管理し、成長させていくということは近代化を進めていく我が国にとっては不可欠という考え方じゃ。」

(神屋宗湛)

「そういえば、世界遺産になった八幡製鉄所や三池炭鉱も元は官営(国営)でスタートしていますね。」

(島井宗室)

「そればかりではない。民間鉄道(私鉄)の場合には例えば大都市間の需要が多い場所には鉄道が発達するが、一方で過剰な競争が発生し、利用者も分散されてしまう。また、一方で利用者の少ない地域になると採算が取れない地域には鉄道が出来ないかもしれない。飛行機や自動車もない時代、鉄道が唯一の公共交通機関だった時代には、出来るだけ広い範囲に公平に鉄道を走らせ、しかも距離にあわせて出来るだけ均等・公平に料金が発生するのが利用者としても望ましいという部分もあった。」

(神屋宗湛)

「今でもバス会社が地域から撤退すると、その地域にとって大きな問題になっていますよね。国営ならその心配もないという訳ですか。」

(島井宗室)

「また、その前年に終結した日露戦争において、鉄道は国内の軍隊輸送だけでなく、中国大陸での進撃や補給の為に野戦鉄道が展開して大きな役割を果たした。日露戦争といえば、大国ロシアを相手にした国の存亡をかけた戦い。そんな戦いで活躍した鉄道を国防の面からも管理したいという思惑もあって鉄道の国有化が国会で決定されたのじゃ。」

(神屋宗湛)

「なるほど。ここに懐かしい響きの『国鉄』(日本国有鉄道・JNRとも。実際には、国有化後は鉄道院→鉄道省が鉄道を経営し、第二次世界大戦後に公社である日本国有鉄道「国鉄」が誕生していますが、ここでは国鉄の通称で統一しています・・・・)が成立したんですね。」

(島井宗室)

「前回、宗湛が『懐かしいアレ』と言っておったのは国鉄のことか?」

(神屋宗湛)

「そうですよ~。国鉄って聞かなくなって来年で30年ですからね。叔父さんも懐かしいでしょう?」

(島井宗室)

「い、いやその、私は生まれた時からJRだったものだから・・・。」

(神屋宗湛)

「ハイハイ・・・・全然面白くないですよ!」

(島井宗室)

「・・・(イラッ)・・・国有化については反対意見も多かったが、国鉄によって九州の鉄道建設は一気に進んだ。九州鉄道を引き継いだ国鉄は、現在の日豊本線を明治44年(1911年)1月までに大分まで開業させ、宮崎方面へは肥薩線の吉松から小林・都城経由で宮崎を目指すことになり、大正元年(1912年)には吉松~小林間、更に大正5年(1917年)10月25日には吉松~宮崎間が開通して九州島内の県庁所在地が全て繋がった。」

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かつては鹿児島本線と日豊本線の両方が通る交通の要衝だった吉松駅

(神屋宗湛)

「同じ日に大分から南下してきたの日豊本線も佐伯まで開通したんですよね?」

(島井宗室)

「左様。大正12年(1924年)12月15日に宮崎~佐伯間の残工事も竣工して、現在の日豊本線が全通。明治22年(1889年)の博多~久留米間の開業以来、35年かかって九州循環ルートがついに全通したのじゃ!」

(神屋宗湛)

「ばんざ~い!」

(島井宗室)

「しかし、まだまだ工事は続く。先に完成した鹿児島本線は熊本県の人吉から鹿児島県の吉松に抜けていたが、急勾配の山岳路線である為に輸送量は制限された。この為、海沿いに八代~水俣~川内と抜ける新しい鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)が昭和2年(1927年)10月17日に完成し、人吉経由の旧鹿児島本線は肥薩線と改称された。」

(神屋宗湛)

「なるほど・・・。」

(島井宗室)

「更に、九州を東西に横断する現在の豊肥本線が昭和3年(1928年)12月2日に開通した。」

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豊肥本線の車両基地だった宮地駅に残る蒸気機関車時代の転車台

(神屋宗湛)

「随分、今の鉄道網に近づいてきましたね・・・。」

(島井宗室)

「なんのなんの。まだまだ。筑豊の石炭を若松港に運ぶ為に筑豊鉄道によって建設された筑豊本線は、飯塚市と筑紫野市の間の冷水峠で工事が止まっていたが、昭和4年(1929年)12月7日に筑前内野~筑前山家間の間に冷水トンネルが開通し、筑豊本線が若松~原田まで全通、鹿児島本線と繋がった。」

(神屋宗湛)

「冷水トンネルは全長3259メートルで、当時九州最長のトンネルだったんですよね!?」

(島井宗室)

「その通り。昭和7年(1932年)12月6日には日豊本線が鹿児島の国分経由でショートカットする路線が開通。以後はこちらが日豊本線となった。昭和9年(1934年)11月15日には久留米と大分を結ぶ久大線も開通。同じ年の12月1日には肥前山口~諌早間の路線も竣工して長崎本線も現在の形になったのじゃ!」

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久大線の車両基地だった旧豊後森機関庫(近代化産業遺産)

(神屋宗湛)

「・・・ということは、明治22年(1889年)の博多~久留米間の開業以来、45年かかって現在のJR九州の主要な本線である鹿児島本線、日豊本線、長崎本線、豊肥本線、筑豊本線、久大線等が全通したんですね。」

(島井宗室)

「そうじゃな。しかし、戦争の足音も迫ってきておった。昭和16年(1941年)にはアメリカとの戦争が始まると、機関車も貨物用が多く生産されるようになり、国鉄の列車は次第に旅客用よりも軍需物資を満載した貨物列車に重きを置くようになった。しかし、そのそのそそおっそその一方で、『戦争は技術を進歩させる』という言葉もあながち嘘ではなかった。昭和11年(1936年)に着工した『関門トンネル』が昭和17年(1942年)に開通し、特急『富士』が東京~博多間を門司経由で結ぶようになった。」

(神屋宗湛)

「関門トンネルは世界初の海底トンネルでしたね?日本の技術も大したもんだ。」

(島井宗室)

「昭和19年(1944年)には関門トンネルが上下複線化され、輸送力はさらに強化されたが、同じ年に特急富士も運行を終了し、昭和20年(1945年)の終戦を迎えることになった。」

[続く]