九州新幹線全通5周年・山陽新幹線博多開業41周年!九州に鉄道の幕開く!第3回ひかりは西へ!つばめは九州を駆け巡る

2016 年 3 月 12 日

(神屋宗湛)

「昭和20年(1945年)、戦争が終結すると、戦時中に大きな被害を受けた鉄道も復興、国鉄は旅客列車を戦前の水準まで増発し、平和な時代の到来を鉄道も謳歌しました。」

(島井宗室)

「その通り。一方で国鉄は、それまでの列車の中核を占めていた蒸気機関車を無くしていく『無煙化』を鉄道近代化のスローガンに掲げ、昭和23年(1948年)を最後に蒸気機関車の製造を終了した。」

(神屋宗湛)

「力強い蒸気機関車は頼もしい存在ですが、欠点もあったんでしょうか?」

(島井宗室)

「まずは、蒸気機関車の象徴というべき煙と煤じゃ。蒸気機関車の時代にはトンネルに入ると窓を閉めたという話をよく聞く。また、蒸気機関車の力強い外観と裏腹に、実は電車や電気機関車の方が坂道に強く、電車や電気機関車は一人の運転士で何両も一度に運用でき、電気で冷暖房や様々な設備を動かすことが出来た。確かに電化(電車や電気機関車を走らせること)の為には様々な変電設備などが必要になって費用がかかるが、蒸気機関車の場合には代わりに給水・給炭設備や方向転換設備も必要になる。・・・・とはいえ、九州の国鉄路線では昭和36年(1961年)に門司港~久留米間が電化されるまで蒸気機関車の独壇場だったのじゃ。」

(神屋宗湛)

「叔父さん、九州で活躍した主な蒸気機関車を教えてください。」

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※9600形蒸気機関車:通称キュウロク。大正2年(1913年)から770両が作られた国鉄初の国産標準貨物用機関車。日本全国で活躍し、九州では沿線に炭鉱のあった筑豊本線や長崎本線の他、各地の支線でも活躍。扱いやすい性能と大きさ、仲間の多さから終始愛用され、昭和50年(1975年)の蒸気機関車全廃まで走り続けた。写真は福岡市東区の貝塚公園に保存される49627機。

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※8620形蒸気機関車:通称ハチロク。大正3年(1914年)から684両が作られた国鉄初の国産標準旅客用機関車。日本全国で活躍し、九州では久大線等で活躍。9600同様に使いやすい性能と大きさが愛用され、昭和50年(1975年)まで現役だった。写真は現在でもJR九州のSL人吉号として活躍する58654号機。

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※D50形蒸気機関車:通称デゴマル。9600形以上の強力貨物用機関車として大正12年(1923年)から380両が作られ、重量貨物列車の牽引に従事。九州北部の直方機関区に重点配備され、輸送力向上に大きく貢献した。弟分のD51形登場後も活躍したが、戦後は一部の仲間がD60形に改造され、筑豊本線以外に久大線でも運用された。写真は飯塚市勝盛公園に保存されるD6046号機だが、元はD50157号機。

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※C11形蒸気機関車:昭和7年(1932年)から381両が作られた小型の機関車で、石炭と水を積んだ炭水車を牽かず、背中と両サイドのタンクに積むことからタンク式機関車とも分類される。車両本体のタンクに積んだ石炭と水のみで走る為、長距離運転には向かないが、その分短距離の線区で重宝された。写真は福岡県須恵町の皿山歴史資料館に保存されるC11257号機。

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※D51形蒸気機関車:通称デゴイチ。昭和11年(1936年)から我国の機関車としては(電気機関車やディーゼル機関車も含めて)最多の1115両が作られた大型の貨物用機関車で、我が国の蒸気機関車の代名詞的存在。九州では鹿児島本線・日豊本線・長崎本線といった幹線の他、強力な出力を生かして急勾配が続く肥薩線(人吉~吉松間)でも活躍した。写真は久留米市鳥類センターに展示されるD51923号機。

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※C57形蒸気機関車:通称シゴナナ。細身のエンジンボイラーから貴婦人とも称される。昭和12年(1937年)から215両が作られた高速の旅客用機関車で、デゴイチと並ぶ我が国の蒸気機関車の代名詞的存在。九州では鹿児島本線・日豊本線・長崎本線といった幹線で活躍した。1号機であるC571は、現在でも「やまぐち号」としてJR西日本の山口線で活躍している。写真は宮崎県総合運動公園に展示されるC57175号機。

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※C59形蒸気機関車:戦前最後に開発された超大型旅客用機関車。東海道・山陽本線において特特急列車などを牽く為に合計173両が戦前・戦後にかけて作られた。東海道から山陽へと電化が進むと、それに伴って西へ移動し、九州では昭和31年(1956年)より活躍。「あさかぜ」「さくら」「みずほ」といったブルートレインの先頭に立ち、無煙化によって姿を消していく蒸気機関車最後の黄金時代を飾った。写真は九州鉄道記念館に保存されるC591号機。

(神屋宗湛)

「叔父さん、詳しいですね~!」

(島井宗室)

「実はこのページの管理人が蒸気機関車大好きなんじゃよ。」

(神屋宗湛)

「道理で(笑)。」

(島井宗室)

「話は脱線したが、昭和36年(1961年)には門司港~久留米間が電車化され、以後、鹿児島本線が南に向かって電化され始めた。」

(神屋宗湛)

「いよいよ九州でも蒸気機関車に代わって電車や気動車の時代がやって来たんですね。」

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※九州を代表する電車特急として走り始めた「にちりん」

(島井宗室)

「うむ。まず、鹿児島本線が昭和45年(1970年)までに完全に電化され、近代的な電気機関車・電車が走るようになった。日豊本線も昭和49年(1974年)までに小倉~南宮崎間までが電化された。残りの区間や他の長崎本線・豊肥本線・筑豊本線・久大線等は電車ではなく、ディーゼル機関車やディーゼル気動車が走るようになり(日豊本線と長崎本線は後に全線電化)、昭和47年(1972年)~昭和49年(1974年)の間に九州地区の蒸気機関車は大部分が引退し、列車の近代化が達成された。」

(神屋宗湛)

「それはちょっと寂しいですね・・・。」

(島井宗室)

「しかし、寂しいことばかりではないぞ。昭和39年(1964年)に東京~新大阪間で開業した東海道新幹線が、『ひかりは西へ!』を合言葉に昭和47年(1972年)新大阪~岡山間が開業、そして、昭和50年(1975年)3月10日には遂に博多まで全通したのじゃ!新幹線『ひかり』号が東京~博多間を6時間56分で結ぶのは当時驚異的なことじゃった。」

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※遂に博多に乗り入れた新幹線「ひかり」号(四国鉄道文化館に展示される初代新幹線0系)

(神屋宗湛)

「昭和5年(1930年)の特急『燕』が東京~大阪間で8時間以上かかったそうですから、50年足らずの間に、それより短い時間で東京から博多まで行けるようになったとは、技術の進歩の凄さを感じますね。」

(島井宗室)

「一方で、昭和39年(1964年)に東海道新幹線が開業して以来、その莫大な建設費負担もあって国鉄はずっと赤字計上が続いていた。遂に昭和62年(1987年)4月1日、国鉄は分割民営化され、現在のJRグループが発足した。九州ではJR九州が誕生し、前後して宮原線・佐賀線・矢部線・大隅線等が廃止され、甘木線→甘木鉄道、松浦線→松浦鉄道、田川線→平成筑豊鉄道、湯前線→くま川鉄道、高千穂線→高千穂鉄道、高森線→南阿蘇鉄道にそれぞれ転換した。」

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※廃止になった佐賀線の筑後川橋梁と宮原線・小国駅跡

(神屋宗湛)

「いわゆる第3セクターってやつですね?」

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※上から平成筑豊鉄道・甘木鉄道・くま川鉄道・南阿蘇鉄道

(島井宗室)

「詳しいのう。鹿児島本線、日豊本線、長崎本線、豊肥本線といった主な本線ルートはJRが運行し、地域に密着した第3セクター鉄道が接続することで九州の鉄道は新しいステージに進んだのじゃ。」

(神屋宗湛)

「平成筑豊鉄道や甘木鉄道の様に地域の足として親しまれている鉄道もあれば、くま川鉄道や南阿蘇鉄道の様に観光鉄道として人気の鉄道もあってバラエティーに富んでいますね。」

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※2011年3月12日に全線開業した九州新幹線

(島井宗室)

「そうじゃ。そして、2004年(平成16年)には新八代~鹿児島中央(旧西鹿児島駅)間で待望の九州新幹線が部分開業。更に、平成23年(2011年)3月12日、九州新幹線は博多まで開通して全線開業したのじゃ。各駅停車の九州新幹線は歴史ある『つばめ』号を名乗り、停車駅の少ない九州新幹線は『さくら』号、新大阪まで走る長距離新幹線は『みずほ』号と命名された。博多~鹿児島中央の約260キロを最速1時間17分で走る九州新幹線、これからも九州の人と人、地域と地域を結びつける『絆』として活躍してほしいものじゃ。」

[完]