其の四 〜ち・ん・ぴ・ら?〜

2009 年 6 月 16 日

(父)

「長政よ、何なのじゃ?甲冑なぞ着込んで!」

(子)

「父上、前回までの父上の長い々い自慢話のせいで、この長政のことを皆様が『父程の智謀も無く、親の七光りで平々凡々と過ごした二代目だろ?』位に思われては困りまするからな。この辺りで、私の誠の姿を知って頂こうかと。」

(父)

「・・・・。」

(子)

「さて、以前に父上が信長公から疑いを掛けられ、この長政が殺されそうになったお話をしましたな。しかし、その後は武将として順調に成長し、父上から豊前国中津城を受け継いで豊臣政権の立派な二代目大名。しかも、はかりごとの自慢話ばかりする暗い性格の父上とは違って、私は明るい性格で、危険を顧みず戦いの最前線に立ち、自ら馬に跨り剣を振るう快活な若武者。人々からは『黒田軍の先鋒の武者を五、六人倒すことが出来れば、きっとその中に黒田長政自身がいるに違いない』と、その勇気を称えられました。もっとも、腕の立つ私は敵に倒されたことはございませんがね。ハハハッ!」

(父)

「愚か者!それは大名が自ら先頭に立って剣を振う等、大将の器にあらずと馬鹿にされておるのじゃ。」

(子)

「さ、左様でございましたか。しかし、この長政を本心から馬鹿にするものが現れたのでございます。」

(父)

「ふむ。茶坊主から近江国(滋賀県)佐和山城十四万石の主に出世した石田三成じゃな。」

(子)

「その通り。石田三成等、五奉行は戦場で命を掛けて戦う私や加藤清正・福島正則に上から目線で命令し、奴等がする仕事といったら田畑を検地したり、軍隊に補給をしたり、秀吉様の命令を書面に起こしたりと、戦に比べればどうでも良いことばかり。」

(父)

「豊臣家にとってはどちらも大切なことじゃがのう。」

(子)

「しかし、秀吉様の命令で朝鮮半島に攻め込んだ時も、現地での我等の手柄を石田三成等に握り潰されたではございませんか?」

(父)

「確かにのう。」

(子)

「しかも、1598年に朝鮮半島での戦いの最中に秀吉様が亡くなると、三成等の態度は益々大きくなる始末。」

(父)

「そこで、長政と加藤清正・福島正則・加藤嘉明、それに池田輝政・浅野幸長・細川忠興の七将で石田三成を襲撃した訳じゃな?しかし、両加藤と福島は喧嘩早いので有名な『賤ヶ岳の七本槍』の内の三人。そして、長政と池田・浅野・細川はやはり喧嘩早いので有名な名家の跡取り息子。周りは良い迷惑じゃったろうな。」

(子)

「今になって考えれば・・・・。しかも、三成には逃げられてしまい、我等七名は五大老筆頭の徳川家康様からはキツいお叱りを受けたのでございます。『お前達はチンピラか!』と。」

(父)

「ふふ、チンピラとは家康殿も上手いことを仰る。」

(子)

「でも、この時我々チンピラ七人の頭には、我々を叱り付けて三成との仲裁をして下さった家康様の度量の大きさがしっかり刻み込まれたのでございます。これからの政治はこのお方抜きにしては在り得ないと。」

(父)

「そして、一年半後の関ヶ原の戦いに至るわけじゃな。」

(子)

「左様です。我等七将は家康様の率いる東軍の主力として戦うことになるのですが、それはまた次回ということで・・・・。」

[続く]