其の六 ~そして、福岡へ・・・・!~

2009 年 7 月 3 日

(子)

「父上、そして皆様、私は筑前国52万石へ入るにあたって、新しい城と町作りを行うことに致しました。現在の御世では、52万石といっても皆様にピンと来ぬかも知れませぬが、江戸時代を通じて50万石以上の大名家が加賀前田家・薩摩島津家・仙台伊達家・肥後細川家・佐賀鍋島家と我が黒田家の六家だけでありましたから、黒田家は全国有数の大々名となった訳でして、当然それに相応しい城と城下町が必要と考えたのでございます。」

(父)

「なるほど、良い考えじゃ。しかし、場所の目星はついておるのか?」

(子)

「はい。ご存知のように、筑前国には52万石という石高とは別に、経済上欠くことが出来ない重要な要素がございます。」

(父)

「ズバリ、博多のことじゃな?」

(子)

「左様でございます。我等の時代の博多は摂津国(大阪府)の堺と並ぶ世界有数の国際貿易港で、島井宗室・神屋宗湛・大賀宗九等の博多三商傑に代表される博多商人達は、戦国大名といえども侮れぬほどの経済力を誇っておりました。戦国時代たけなわの頃には豊後国(大分県)から大友氏、薩摩国(鹿児島県)から島津氏、肥前国(佐賀県)から龍造寺氏、更には中国地方の毛利氏までが進出し、博多の利権を自らの保護下に入れようと争いました。その後も秀吉様が朝鮮半島に侵攻された際には総勢30万ともいわれる軍勢の補給を博多商人達が引受けたことから考えても、彼等の誇る経済力と物流機構の大きさが想像できますな。」

(父)

「その通りじゃな。そうか、分かったぞ。商人の町である博多に隣接して新に武家の町を造るのじゃな?必要とあれば、博多商人達にも城や町作りに協力させることも出来るし・・・・。」

(子)

「仰るとおりでございます。博多は博多湾に注ぐ那珂川東岸を中心に栄える街。ですから、那珂川西岸、かつて福崎と呼ばれた地に博多の双子都市を建設することにしたのでございます。」

(父)

「なるほど、では城の名は福崎からとって福崎城か?」

(子)

「いえいえ、せっかく新しい城と城下町を建設するのでございますから、名前も新に付けねばなりませぬ。さて、ここで父上と皆様にクイズがございます。故司馬遼太郎殿の名著で、我が父黒田官兵衛を主人公とした『播磨灘物語』において、黒田家の先祖が薬学に長けていた為、薬の販売で財を成したとされる備前国(岡山県)の町はどこでございましょう?」

(父)

「うーむ。ワシも最近寄る年波のせいか、昔のことになるとどうも物覚えが良くないわい・・・・。降参じゃ!」

(子)

「父上、余りにも早い諦めよう・・・・。ご先祖様に対してチト不孝なのではございませぬか?」

(父)

「・・・・。思い出したぞ。備前国福岡じゃな?」

(子)

「父上、ご名答!ですから、私はご先祖様の源流に因んでこの地を『福岡』と名付けることにした訳です・・・・。」

(父)

「福岡・・・・。それは良い考えじゃ。それに何故かホッとするし、暖かい感触の名前じゃのう。妙に落ち着くわい。しかし、思えばこの福崎・・・・もとい福岡の地に至るまで我等親子にとって本当に長い長い道のりであったのう、長政。」

(子)

「う、う、誠に・・・・。この長政は感無量でございます・・・・。」

(父)

「・・・・。よもや長政は近頃流行りの情緒不安定、気の病かのう・・・・?おっと、脱線し過ぎたわい。そして那珂川を挟んで西岸に黒田家臣を中心とする武家町『福岡』、東岸に博多商人を中心とする商業都市『博多』を整備していくことになった訳じゃな?」

(子)

「左様。ですから、かつて福岡と博多の町を行き来する者にとって、那珂川にあった渡し船は双子都市を結ぶ一大動脈であった訳です。」

(父)

「そうであったか・・・・。で、現在の平成の御世において、那珂川の辺りはどうなっておるのかのう?」

(子)

「父上、那珂川の畔に建つあの青い天守閣・・・・もとい、あの青いマンションをご覧下さいませ!何とその名も『エンクレスト福岡』でございますぞ!」

(父)

「おお、何と偉大なる歴史の輪廻・・・・!」

[エンクレスト 住めばそこは歴史の宝庫 編へ続く]